映画「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」ネタバレ考察/「フォリ・ア・ドゥを観ました」記事からどうぞ

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考察の前にジョーカー1~2の出来事をまとめてみました。

簡単にフォリ・ア・ドゥのあらすじを交えながら考察していきます。

前作「ジョーカー」の終盤で、真のジョーカーへと覚醒したのかと思ったのですが、今作開始時の施設に入れられたアーサーからは、それは感じられませんでした。
それが、合唱クラブに参加していたリーと出会ってから少しずつ変わっていきます。
誰からも理解されることはないと思っていたところに、同じような境遇の女性が現れて、理解者が現れたと思ったのかと考えます。
そして裁判がはじまり、母親から聞かされてきた話が嘘である事や、思い出したくもない暗い過去をほじくり返されて、段々怒りが込み上げてきてついにアーサーの中のジョーカーが覚醒していきます。
でも元同僚のゲイリーがジョーカーの攻撃性によって苦しめられていたことを知ったり、囚人仲間のリッキーも看守に殺されてしまいます。
ジョーカーとして社会を攻撃することで看守の反感を買ったためと考えます。
アーサーが本当に求めていたものは、ジョーカーを演じていても得られないことに気付いてきて、ジョーカーを演じることを諦めてしまいます。
その結果、リーからも民衆からも見放され、ただの「アーサー」へと戻っていきます。
実際のリーは、アーサーの内にあるジョーカーにしか興味がなかったのだと思います。
アーサーを操り人形のように操って、ジョーカーを引き出そうとしたのですが、アーサーがジョーカーになるのを諦めたとたん興味がなくなったのだと思います。
「IF YOU GO AWAY」があまりにも悲しいなーと思いました。
そして、一番の問題となったラストへと続きます。
ここで面会者が来たと告げられて会いに行く途中で、若い囚人にジョークを聞いてくれと止められます。
そして若い囚人にナイフで刺されて殺されます。
このラストのシーンは色々な見方が出来ると思っています。
一つ目の考え方」として、

妄想①

アーサーが倒れた後ろで若い囚人が自分の口を切り裂いているところから、真のジョーカー誕生をさしているのかと思います。
そして、面会者はリーだったのではないかと思っています。
リーの差し金でこの殺人が起こったのではないかと推察しています。
リーは、ジョーカーを諦めたアーサーを殺さないと「真のジョーカー」が生まれないと考え、
そして、真のジョーカーとなる男の手によって殺されなければならないと考えたのではないかと思っています。
リーの中での「山」は「ジョーカー=カリスマ(特別な存在)」だったのではないかと思います。
それは「IF MYFRIENDS COULD SEE ME NOW」でリーが、
「こんな有名な男が つまり彼のことだけど 無名の女の子を選ぶなんて つまり紛れもない私のことだけど すごい出世だよね、びっくりよ! 今の私を皆に見せてやりたい ほら今の私を見て」
と歌っています。

怖い考えですが、これを達成するために策略したのではないかと。。。なにせリーは出入りも自由みたいだし、精神科医で心を操るのが得意そうな気がします。
リーは「I’VE GOT THE WORLD ON A STRING」で
「世界は私の思うまま 虹に腰かけて 指に糸を巻き付けて操るの」
と歌っているし。。。

いっぽう、アーサーは刺されて死んでいくのですが、死の間際、妄想の中で「立派な息子が欲しかった」と言っています。
アーサーの中での「山」は「立派な息子=後継者」だったのではないかと考えます。
若い囚人のジョークは、アーサーのブラックジョークよりうまく出来ていたし、アーサーの意図ではないかもしれないですが、結果的に後継者が出来たことになります。
悲しい結末ですが、悲劇だった人生という抑圧から解放されたのかもしれません。
劇が終わった後の、「THAT’S LIFE」と「TRUE LOVE WILL FIND YOU IN THE END」が悲しくも「人生そんなもの」かと思ってしまいました。

また別の考え方として、

妄想②

アーサーが刺されたシーンはアーサーの妄想で、アーサー自身が「抑圧されたアーサーの心」を殺す事で、「真のジョーカー」が誕生するとも考えられるかなと思います。

あと、僕が映画を観て思った疑問点についても考えてみました。

僕がフォリ・ア・ドゥを観て思った疑問点

①所々で入るアニメーションの意味

これは、映画.comさんの記事を読んで「そんな視点があったのか」と思ったことです。
そのヒントは「アニメーションが画面上に映ったら、その直後は妄想だ」という事です。
ただ、これだとラストシーンの直前にアニメーションがあるので、刺殺されるシーンも現実かどうか怪しくなります。
面白いですね。
結果、この謎は僕はまだ解けてないです。

②冒頭の棟から棟へ移動するシーンの黒い傘がカラフルに変わる意味

アーサーの妄想の部分だと思います。
マレーフランクリンショーのカーテンの色というのは分かったのですが、分かりにくい描写だったので、YOUTUBEや他の人の記事の考察から、ミュージカルが始まりを示しているという考えに落ち着きました。
ただ、現実と妄想の境目が分かりにくい場面が他にもあるのだろうなとも思いました。

③冒頭のアニメ「俺と俺の影」の意味

これは、今作フォリ・ア・ドゥの最初から終わりまでを表しているのかと思いました。
影の方がジョーカーかと思っていたのですが、最後の方の「IF YOU GO AWAY」で
「僕は君の飼い犬の影となっても構わなかった」
と歌っていて影がどっちか分からなくなてきました。
自分のみじめな人生よりも、リッチなリーの家の飼い犬の影の方が良かったと思ったのかもしれません。
悲しすぎますが。。

④作中によく出てくる「影」という言葉の意味

ジョーカーの事と思っていたのですがよく分からなくなってきています。

⑤作中によく出てくる「犬」という言葉の意味

冒頭の剃刀で髭をそってもらう時に、看守が「犬」ジョークを言ったり、作中の歌の歌詞に含まれていたりしています。
人間以下のものとして表現しているのかと思いますが、アーサーには自分がその「犬」以下に思えて、看守のジョークに笑えないでいるのかと思います。
また、リーが離れていったあと、リーに電話するシーンでアーサーが歌っている「犬の影」も自分の境遇が犬以下と思っているのかと思います。
アーサーの今までの人生の厳しさが想像させられます。

⑥アーサーやリーが言っている「山」とは

アーサーにとっての「山」は、「普通の人間としての幸せな生活」でその象徴の「子供」が欲しかったのかと思います。
自分みたいな境遇の子供でなく「立派な子供」を望んだのかと思います。
リーにとっての「山」はジョーカーのような「カリスマ性のある特別な存在」を望んだのかと思います。

⑦ラストの背後で起こっている事の意味

アーサーが死ぬ間際、後ろで若い囚人が、自分の口をナイフで切り裂いている姿が、ぼやっと見えます。
普通?に考えると彼が真のジョーカーになるのかと思います。
口の裂けたジョーカーはヒース・レジャーが演じたジョーカーを思い起こさせますので、オマージュしたのかもしれません。

⑧リーとは何者か

リーはリッチな家庭に育っているはずなのに、自分のことを「何もないただの人」と言っています。
アーサー(ジョーカー)のことをすごい人と言っています。
このことからアーサーとリーの求めているものは全く違うなと思います。
リーはアーサーをうまく操って自分の思いのままにしようとしていた気がします。
あのままジョーカーを演じていても、裁判で死刑になっていたような気がするのですが、どうしようとしていたのか、まだ理解できていないです。

⑨囚人たちが聖者の行進を頻繁に歌う意味

聖者の行進は死者の弔いの時に歌う曲との事で、囚人たちが歌うのは、アーサーが死刑に向かっているからかと思いました。
ジョーカーを演じることでますます死に向かっている気がしますが、死を恐れないジョーカーを見て勇気付けられていたのかもしれません。

⑩ジョーカーとは何者か

結局ジョーカーとは何だったのか。
アーサーは看守に暴行され、リッキーが殺された夜、地下鉄でエリート3人を殺して、トイレでダンスした後のことを思い出しています。
洗面所でピエロの化粧を洗い流しているところを。
これは3人を殺した時、アーサーの人格がちゃんと有ったということを示していて、「自分の中にジョーカーの人格はなかった」とアーサーが気付いたということなのかもしれません。
今のところ僕たちの知っている「ジョーカー」は「アーサーじゃない誰か」だと思っています。

観客がそれぞれ自由に考えるのが面白いかなと思っています。
僕は他の人の考察を見るのも好きで、YOUTUBEとかで見たりしています。
十人十色でメチャクチャ面白いです。
喜劇なんて主観だから自分で考えればいいとアーサーも言っているので。

映画をこんなに深読みしたのは久しぶり、、というか初めてかもしれないけど、すごく面白い体験をしました。
皆さんも色々妄想を広げると楽しいと思います!

あと、歌詞の内容をもっと深く知りたくてサントラ盤を購入する場合、日本語版をお勧めします。
日本語版にはライナーノーツがついているので、日本語訳もあるし、小ネタも載っています。

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